私の高校生時代までを振り返る

当院について

こんにちは。

新潟県新発田市の肩こり腰痛専門整体院すった家                                                院長の鈴木です。

新発田市は雪もなく(今日は雨ですが)過ごしやすいですね。いつどっさりと雪が降るかドキドキしていますが…

さて、今日は前回のお話し(中学生時代の私のお話し)の続きです。前回は中学校の部活はサッカー部なのか野球部に入るのか?という私に興味がない人に対しては全く興味がない話なわけです。興味ない人は読まなくてOKですよ。

そう、中学生になった私はサッカー部に入ります(もう結論)                                   なんで?と言われると私も良く分からないのですが、理由としては小学校の時に入っていたスポーツ少年団の先輩がたくさんいたからではないでしょうか?

私のいた猿橋中学校は、私が入学した時サッカー部が2年前に設立されたと記憶しています。今でこそサッカーは日本でも人気スポーツですが当時はそうでもなくこの2年後に初めて日本がワールドカップに出場します。Jリーグは私が中学時代に発足だったかと思います。サッカー部にはいった私は1年生からサブメンバーになります。ようはベンチ入りです。これはなかなかすごいですが、実はうちのサッカー部は強くありませんでした…

2年生になりレギュラーになりました。左のFWでしたでしょうか。あんまり覚えていません…。先輩たちには良くしてもらい、私は同級生とではなく先輩たちと一緒に帰ったりしていました。あの頃が良い思い出がたくさんあった感じがします。               私が2年生の時のサッカー部は割と新発田では強かった思い出はありますが新潟などに遠征し練習試合などを行うと散々でした。良い先輩に囲まれた2年生も終わり、3年生に自分がなると同級生とはうまくコミュニケーションが取れませんでした。                今思えば、私の想いと同級生の想いにすれ違いがあったのでしょう。自分はもっと貪欲に強く勝てるチームとして頑張りたかったのですが、周囲のメンバーはそうでもなかったようでした。私が孤立していったような感じがします。                     結果もでないチームにいて、悶々とした日々を過ごす…                                                        気分が晴れることもなく、ただただ自分はこんなもんじゃないんだと言い聞かせていました。                            今思えばこの時に自分から何か行動を起こして、チームをまとめたり自身の技術を高めたりということをもっとしておけば良かったのだと思います。

要は現実から「逃げていたのです」この逃げていたという自分とはこの先何度も出会うわけですが、これが今の自分の開業した理念になるとはこの時はわかりませんでした。

中学時代は本当にサッカーのことしか頭になく、自分はプロサッカー選手になるんだと本気で思っていました。                             そんな中学校時代を経て、高校はどこにするのか?という問題になります。私は当時、新潟県でサッカーの強かった東京学館新潟高等学校へ入学します。当時は県で1、2を争う強豪でした。

私は中学生時代に強い部活にできなかったことを周りのせいにしていたのですね。当時はわかりませんでしたが今はわかります。  だから環境が変われば自分は必ずプロになれるはず。と思い込んでいました。1年生でレギュラーになって…などと妄想ばかりが膨らんでいました。当時は新発田から新潟の学校へは私立しか行けなかったので、当時ではそんな人もいません。そんな環境に満足していたのです。

続く。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事一覧