私の高校時代のお話

当院について

こんにちは。

新潟県新発田市の肩こり腰痛専門整体院すった家                                                院長の鈴木です。

最近書くネタがなくなってきまして…                                              今回は私の高校時代のお話し。興味ある方だけどうぞ。

高校生になった私。頭にあるのはサッカーのみ。勉強はほとんどしていません笑当時のサッカー部員は100人くらいいたかと記憶しています。1年生だけでも70人はいたかも…なかには素人でこれからサッカーはじめます。みたいな人もいたけどみんな辞めていきました。みんなそれぞれに期待してきて妄想もしてきて、いざ現実が始まると自分の立ち位置みたいのがわかる…するとやめていく人も多いわけです。たぶん三分の一ははじめの方で辞めました。

部活動は基本的にレギュラークラス、真ん中クラス、下のクラスみたいに分かれていて、レギュラークラスに交じって練習することはまずなかったです。1年生からレギュラークラスに入っているのは中学時代に県大会や選抜に選ばれたチームの人達でした。私なんてゴミみたいなもんです。ここから這い上がって3年でなんとかレギュラーに…と思い練習に励むのですが…環境って大事だなと思い今でも後悔していることは、この時に誰と一緒にいるのか?とか誰とつるむのか?です。

なんとなーく同じような境遇の人達って集まりやすくて居心地が良くて、すぐに仲良くなれます。逆にレギュラークラスの人達とは一緒にいるとなんか居心地が悪く、自分が小さく見えてしまいなんとなーくそこから遠ざかることになります。この時に居心地の悪いレギュラーメンバーの方にいたらどうだったのか?と今でも思います。

2年生になり後輩も出来て、私も少しだけ声がかかるようになりました。ほんの少しだけね。例えば遠征メンバーに選ばれるとか。ちなみに私は遠征とかが大嫌いでしたので、選ばれないようにひっそりとしていましたが笑。でも2年生になって後輩ができれば、またうまい人もたくさんいるわけです。監督からしても毎年強豪でいる必要があるので経験を積ませることもあるでしょうけれども同じ実力なら若い方を使いますよね。

2年生の私は悶々とした時を過ごし勉強の成績もダダ下がるのです笑。3年になりだいたいの同級生が部活を引退します。         私はというとまだ残っていました。同じく中条から通っていたとおる君。私はとおると呼んでいましたが、顔が赤い彼はアル中と呼ばれていました。少しかわいそう。彼も部に残り一緒に最後まで続けた仲間です。

とうとう3年生になってもレギュラーになれなかったか…でもいろいろなポジションを経験したし少しは良かったのかなー、でもよくわかんないなー。とここでも悶々としているわけです。最後の冬の選手権、この時の同期のキャプテンと副キャプテンが私に声をかけてきました。ちなみにこの時のあだ名はさるでした。猿橋中学校だったからだったかな?「さるは3年間頑張ったよね。うまくなったよ。今監督に話しててさ、さるをレギュラーにしてくれないかってさ。」とこんな内容だったかと思います。私はというと、内心びっくりしましたがこの時期に周りとのコンビネーションをあわせるのは難しいと思いました。それから数日後、監督に呼ばれます。「鈴木、キャプテンの~と副キャプテンも~がお前をレギュラーにどうかと話があったぞ。正直、今の時期に合わせるのは無理がある。だからベンチになるけどそれでもいいか?」みたいなお話し。普通ならベンチでもすごいんですよ。まして誰かが怪我したりすれば出れるかもしれないし。で、私がどう答えたかというと「レギュラーじゃないなら嫌です。」と答えたのです。この答えの裏には自分に自信がなかった。ただそれだけでした。それを表面的に体裁を保つためにこんないい方をしたのでした。今思い返せば、この3年間ってサッカーの為に入ってきたのに、なんで途中でこんなことになったのか…

周りの目が気になった?自分に自信がなかった?今ならなんとなくわかるのです。逃げたんですね…

本日はここまでです。

私の話、次回はいつになるかわかりませんが高校卒業後からです。

では、また。

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